『難経』は、はり治療の根本について書かれている唯一の本です
『難経』 秦越人(扁鵲)
『難経』の一難から二十二難までは主に脈について書かれています。
脈診の基本知識、脉学的基本理論、及び正常な脉症と異常な脉症などが紹介されています。
『難経』 一難
◆原文
◆ 一難曰.十二經皆有動脉.獨取寸口①.以決五藏六府死生吉凶之法.何謂也.
然.寸口者.脉之大會②.手太陰之脉動③也.人一呼脉行三寸.一吸脉行三寸④. 呼吸定息⑤.脉行六寸.
人一日一夜.凡一萬三千五百息⑥. 脉行五十度.周於身.漏水下百刻⑦.榮衞行陽二十五度.行陰亦二十五度. 爲一周也.
故五十度.復會於手太陰.寸口者.五藏六府之所終始.故法取於寸口也.
◇読み下し
一の難に曰く、十二経皆動脉有り、独り寸口①を取って五臓六腑死生吉凶の法を決すとは何の謂いぞや。
然なり、寸口は脉の大会する②、手の太陰の脉動③なり。人一呼に脉行くこと三寸、一吸脉行くこと三寸④、呼吸定息⑤に脉行くこと六寸。
人一日一夜に凡そ一万三千五百息⑥。脉行くこと五十度にして身を周る。漏水下ること百刻⑦、栄衛陽に行くこと二十五度、陰に行くことも亦二十五度、一周と為すなり。
故に五十度にして復た手の太陰に会す、寸口は五臓六腑の終始する所、故に法を寸口に取るなり。
解説
注
①寸口:ここでは両手寸関尺の三部。気口、脉口とも言う。
(寸口には他に諸説がある)
②大会:全身の経脈がすべて集まり、合うところの意。
③脉動:《脈経》巻の一では動脉としている。
④「人一呼脉行三寸.一吸脉行三寸:
《霊数》では五十栄篇では、「人一呼脉再動、気行三寸.一吸脉亦動、気行三寸」としている。
⑤定息:一呼一吸は一息。一息は定息と称す。
⑥「人一日一夜.凡一萬三千五百息:人体の経脈の長さは十六丈二尺」(詳しくは《難経》二十三難)
一息脉行くこと六寸。一周に要するのは二百七十息。
一昼夜、五十周めぐると合計一万三千五百息かかる。(詳しくは《素問》栄衛生会篇・平人気象論篇)
栄衛が循環する速度=一呼吸:六寸。一昼夜の呼吸数:一万三千五百息(回)。
一昼夜の栄衛の流れ:13500息×6寸=81000尺(=810丈)
十二経脉の合わせた長さ:十六丈二尺。
810丈÷16丈2尺=50回 (昼25回、夜25回)
⑦漏水下百刻:漏水は古代の時間を計る方法の一つ。百刻は一昼夜、24時間。
(詳しくは《霊数》く五十栄篇)
<現代語訳>
一難に言う、十二経には皆動脈がある。独り寸口の脈だけを按じて、五臓六腑の病の軽重や予後、良い悪いを診断するのはどうしてか。
よろしい、寸口の部位は十二経脉の気がすべて集会する所であり、手の太陰肺経の脈動部である。健康な人は一呼に脉気が行くこと三寸、一吸に脈気行くこと三寸、一呼吸に六寸である。
人の呼吸は一日一夜で一般に一万三千五百回である。 脉気はともに五十回周行し、全身を循環している。水時計が百刻の時間(一昼夜を百刻に区切った)で、栄衛は昼に二十五回、夜に二十五回巡行して、一周している。
従って五十回で、また手の太陰肺経の寸口に戻る。寸口の部位は五臓六腑の気血の循環の起止点である。従って独り寸口を取って、脈診をして診断する事ができる。
<参考>
五臓六腑の気は、昼夜循環している。肺から始まり肺に終わる。肺は気を主る、更に寸口は肺の動脉部である。両寸口の肺の動脉、太淵、経渠に脉の大きく集まる所である。故に越人はここを以って五臓六腑の気を候った。
十二経の動脈とは、『難経本義』によると、
- 手の太陰脉(肺経)<中府><雲門><天府><侠白>
- 手の陽明脉(大腸)は<合谷><陽渓>
- 手の少陰脉(心経)<極泉>
- 手の太陽脉(小腸経)<天窓>
- 手の少陽脉(三焦経)<和髎>
- 手の厥陰脉(心包経)<労宮>
- 足の太陽脉(膀胱経)<委中>
- 足の少陰脉(腎経) <大谿><陰谷>
- 足の太陰脉(脾経)<箕門><衝門>
- 足の陽明脉(胃経)<衝陽><大迎><人迎><気衝>
- 足の厥陰脉(肝経)<太衝><五里><陰廉>
- 足の少陽脉(胆経)<下関><聴会>
- 『明堂鍼灸図』『甲乙経』では、<大谿><少陽><太衝>は足の要点となる穴である。
注釈 『難経』 一難
「独り寸口を取る」の脈診方法は、『難経』が『内経』の脈診方法を基礎として継承した上に、発展運用したものである。
『内経』の脈診方法は全身を包括した三部九候診と人迎寸口診であリ、三部九口候診が主である。
(三部九候診は全身を上中下と三部に分け、更に各部を天地人の三候に分け、その脉象を診断する方法-素問・第二十・三部九候論篇)
他に 動脉診法『霊数』経脈篇・『素問』方盛衰論篇・
人迎気口診『霊数』四時気篇・禁服篇・
気口診『素問』五臓別論・脉要精微論
三部九候脈診法と十二経は皆連絡がある。内は臓腑、外を絡っているのは四肢関節。従ってこの脈診法は病気を診断するのに理解しやすい。
また「独り寸口を取」ってなぜ五臓六腑の病気の診断ができるのか。
『難経』では寸口は、「脉の大会」「五臓六腑の終始する所」。寸口は肺経の動脈に属する。心は血脉を主る。肺は気を主る。血は気に従っていく、従って十二経脉の気血の運行はすべて肺気と直接関係がある。
『素問』経脉別論によると、「脈気経に流れ 経気肺に帰す。肺は百脉に朝し、精を皮毛に輸る。」よって、五臓六腑に病があれば、気血の運行は常体を失う。これは肺経を通して寸口に反映する。他には、さらに胃の気の作用と関係がある。
『素問』五臓別論篇「胃は水穀の海、六腑の大源なり。・・これを以って五臓六腑の気味、皆胃より出で、変は気口に見わる。」肺はこの気を主る、呼吸の気と関係があるだけでなく、水穀の気とも関係がある。したがって、胃気は亦脉気の根本でもある。
これらの事から、「独り寸口に取る」の病の診断の原理のゆえんである。
『難経』の提出した「独り寸口を取る」の脈診方法以后、現在まで臨床でよく用いられている。実践的に証明している。診察が便利であり、診断の拠り所とする事ができる。当然、四診を加えなければならない。また必要時には三部九候の脈診法もしなければならない。
(『難経校釈』より)
脈診は血管とその中に流れる血液の形状のみを捉えるという思考ではない。
『難経』 二難
◆原文
◆ 二難曰.脉有尺寸.何謂也.
然.尺寸者.脉之大要會也.從關至尺.是尺内陰之所治也.從關至魚際.是寸口内陽之所治也.
故分寸爲尺.分尺爲寸.故陰得尺内一寸.得陽寸内九分.尺寸終始一寸九分.故曰尺寸也.
◇読み下し
二の難に曰く、脈に尺寸有りとは何の謂いぞや。
然るなり、尺寸は脉の大要会なり。関より尺に至って、是れ尺の内、陰の治まる所なり。関より魚際に至って、是れ寸口の内、陽の治まる所なり。
故に寸を分かちて尺となし、尺を分かちて寸となす。故に陰は尺内一寸を得、陽は寸内九分を得る。尺寸終始一寸九分。故に尺寸と曰なり。
<現代語訳>
二難で言う、脈に尺と寸とがあるとは何のことか。
よろしい、尺寸とは脈の集まる重要な会合部ある。関部から尺までが尺内で陰の所属するところ、関部より魚際までが、寸内で陽の所属するところである。
よって、前腕の手首から一寸を除いたものを尺とし、肘から一尺を除いたものを寸とする。
よって、尺内の一寸に陰を捉え得ることができ、寸内の九分に陽を捉え得ることができる。
尺から寸は、始めから終わりまで合わせると一寸九分である。これらのことから脈をうかがうところとして尺寸と言う。
注釈 『難経』 二難
二難では寸尺の陰陽、つまり場所の陰陽について述べています。
ここでは陰を診る場所、陽を診る場所があることを言っています。